留学 虎の巻  -TIGER's Blog- -2ページ目

語学学校での収穫


長い間、ブログを放置してしまった。
もし、見ていてくださっていた方には申し訳なく思います。


この1ヶ月間、目まぐるしく忙しく、あっという間に過ぎていった。
到着当初、なぜかそこまでの感慨はなかった。
これはどうしてなのかわからないが、あくまで自然体のだった気がする。
自分がアメリカに来ることは当然のことと思っていたからだろうか。

こちらに来て、考える時間も作れずに月日は流れていっていた。
言葉、文化、生活の大きな変化に加え、諸々の雑務でやけに疲れていた。
そして、何より日本にいるころより眠い。

先日語学学校が終わり、今はこちらで知り合った老婦人にお世話になっている。
素晴らしい人で、僕は彼女を「アメリカの母」だと思っている。
彼女も僕をpigletと呼び子供のようにかわいがってくれている。本当にありがたい。
(アメリカでは赤ん坊などの愛称で、この「子ぶたちゃん」という言葉をよく使うようだ。)

彼女が僕を赤子のようにかわいがってくれていることであることに気がついた。
自分が英語で話していると幼児化していることだ。
今周りには日本人は一人もいないし、聞こえてくるのは英語しかない。
そんなこともあってか、英語で考え英語で喋れるようにはなった。
(ここ3日間は日本語を一切話してない)
しかし、思考回路は確実に幼児化している。
これはどうもしょうがないようだ。
そうなるのを抑えようと日本語で考えていると、話し出すのももちろん遅れるし、
考えが複雑になると日本語の単語を英語の単語に置き換えることが不可能になって、しどろもどろになる。
これがこちらに来て日本にいる頃より睡眠を必要とする由縁だろうか。
子供は日々新鮮な世界に触れるために、非常に疲れる。だからよく寝る。
今僕は日々新鮮な世界に触れ、右も左もわからず(westとeastがたまにわからなくなる)、
睡魔に襲われる。もちろん、日本との時差によるバイオリズムの変化も原因のひとつだろうが。

それにしても、語学学校の最も大きな収穫は、「自分の英語力は0に等しい」ということだった。
この英語力とは「技術」を意味している。
そして、技術とはここでは「発音」を意味する。

日本にいるころ、発音に気を配ったことは正直なかった。
しかし、これは根本的に間違っている。
発音を徹底的に鍛えなければならない。
英語学校にたった1ヶ月行ったところで英語力が飛躍的に向上することはない。
また、1年でも2年でも留学したところで自然に英語が話せるようになるわけでもない。
発音を基礎からしっかり学び、その技術を身に付けないと永遠に英語を話せないだろう。

これがこの1ヶ月でも最も大きな収穫だった。次回の記事はこの発音について書きたい。


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いざアメリカへ

さぁ、出発の時がやってきた。
大学の学期が始まる一足早く行ってきます。

更新はネット環境が整いしだいしていきたいと思います。
では、しばしのお別れです。

いざ、アメリカへ

東京での再開・出会い

東京に着き、旧友と(実際には留学を機に知り合うことができた友人たちであるが、なぜか遠い昔から知ってるかのような気分になるのは僕だけだろうか?)再開を果たせた。

彼らとの話は、とても生産的でおもしろい。
良い刺激をどんどん送ってきてくれる。

人との出会いは偶然のようで実は必然なのだと思っている。
僕が自分の意思で動いていれば、それ相応の人と必然的に出会えるものだと感じる。
「類は友を呼ぶ」という言葉は真理をついている。

彼らは、世界にはすごい人間がたくさんいる、ということを教えてくれ、
自分を磨くことの大切さも気付かせてくれる。
大事にすべきものはこのような関係だと思う。


そして、東京での生活はどんどんと新しい出会いの連続となる。

一人の友人の紹介で、おもしろい人と出会うことができた。
彼は日本屈指の大学の学生で、熱い思いを持っていた。
語らなくとも目がそれを物語っている。
優しく柔和な雰囲気は、こちらからもっと話したくなる。
そんな人と出会ったのは初めてだった。
これからもお互いを高めあい、感化しあえる関係を続けたいと本気で思う人だった。


また、地元の幼馴染(僕の人生において初めての友達と言っていい)も、
ひょんなことから、素晴らしい出会いをもたらしてくれた。

その人は、普通の世界に住んでいると、会えるはずのない人だった。
僕も彼のバンドのCDを持っていると言えばわかりやすいかもしれない。
僕の母親の世代で言うと、ヨン様に会えるのと同じくらい嬉しいことだと思う。

まさかその曲を書いた人と同じ部屋でその曲を聴くことになるとは夢にも思わなかった。
彼は、付き合ってもなんのメリットのないような音楽の専門知識もない若い僕に
たくさんの話をしてくれ、僕の考えを本気で聞いてくれた。
そしてビジネスにおいても意見を求めてくれたのを機に
アメリカでできるニュービジネスを閃かせてくれた。
いくら財を成し有名になっても、偉ぶることなく応じてくれる。
男として、本当にかっこいいと思う人だった。

またその彼が、世界でも有名なミュージシャンのライブに連れて行ってくれ、
その後食事をする機会をも与えてくれた。
まさかビルボードチャートトップ10に入るバンドと話すとは・・・・


出会いというものは一つひとつ繋がっていて、
それは太く強いものなのだと改めて感じた。

まだまだ、多くの出会いのある実りある日々だった。
ある総会では、財界人、学問で功績を残された方、ビジネスの最前線で活躍している方、
放送界の方などと会うこともでき、自分の思いを簡単ながらスピーチする機会を持てた。


数え切れないほどの出会いを通して、成長した自分を実感できた。
それは、とても容易なことで、考え方がより進化していることを体感すればいいだけだった。


出会いは人に大きな力を与えてくれ、進化を促す。
それに気付くか気付かないかも自分次第である。

人間というものはつくづくおもしろいものだ。




強行スケジュールもあっという間に終わり、
名古屋行のバスに乗る。

そしてまたここで、新たな心温まる出会いがあるのだった。

僕はなんと幸せ者なのだろうと思わずにはいられない。


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生き方

生き方には答えはない。
ただ、自分自身へ問いかければ、限りなく答えに近い答えを探すことはできる。
今日は、そのことを書きたいと思う。

僕は、嫌われる人間だと思う。
今までの人生において、虐げられたり、人と違う目でみられてきた。
そしてこれからもそうかもしれない。
しかし、おもしろいことに、僕を嫌う人間と同じくらいか、むしろそれ以上の人が、
僕を好んでくれる。
これ以上の幸せはないのではないかと思う。

万人に好かれる必要はない。
むしろそれはおこがましい考えだと思う。

このような言葉がある。

「殺される程憎まれたということは、それと同じ力で愛されていたということでもある。」

実に的を射ている言葉だと思う。
竜馬もケネディも、人々に愛されるが故に殺されたのだった。

僕は、自分で決めた道を、自らの意思決定で歩んでいくと決意した。
失敗はそれを失敗と思うか、それを成功への過程-ステップ-と思うか。
それは自分次第だ。


常に考え、日々進化を繰り返し、人生を楽しむ。
人とのつながりを大切にする。


たった一度の人生に悔いを残すつもりなど毛頭ない。

考えない人生など生きるに値しない。

これが僕の生き方の答えだと思っている。


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大阪でのビザ面接

もうすごく昔のことのようだけど、スケジュール帳に記入された時系列にそって日記を書いていこうと思う。



フェリーを降り、5度目の大阪へ着いた。

朝6時にも関わらず日差しは強く、夏を感じさせる暑さだった。

大阪領事館は厳重な警備が引かれており、ものものしい雰囲気だった。

すべての荷物にX線を通し、中に入る。
僕の場合、写真をインスタント写真で撮っていたため、再度取り直しとのこと。
近くの写真屋へ行かされる。
(背景が真っ白でないといけないらしい)

フロアに入ると、書類を審査するブース、面接するブースと別れていた。

書類は難なく通り、面接時間を待つ。


面接官はアメリカ人であるが、日本語で名前を呼ばれる。

僕の前の人は、動機があいまいということでビザを却下されていた。
なにやら、しっかりとした書類と動機が必要のようだ。

意気込んで面接に向かう。

面接官は、とても不機嫌で、どんな質問がされるのだろう?と考えていた。

書類を1枚1枚目を通し、僕の顔をじっと見る。


・・・・・・・
しばしの沈黙のあと、「OK. You are accepted. イッシュウカンゴニハビザガトドキマス」
と言われた。


なんと面接時間30秒。
わざわざ大阪まで出向き、2時間待って、30秒。

形式的な儀式を通さないといけない、お役所仕事はアメリカでも同じのようだ。

一路、東京へむかうバスに乗る。

大学へ進む人には、ビザ審査は恐れることはないみたいだ。


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人間の力

ブログアップを怠り、申し訳ありません。

もうこのまま辞めてしまおうかと思っていましたが、またパワーが蘇ってきました。

がんばります。

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さて、僕の日本旅行も終わりがやってきた。

全国を旅する予定も、急な日程変更と資金不足で東京と大阪・名古屋で断念することになってしまった。


しかし、本当に内容の濃い2週間だったと思う。

いろいろな人に会えた。

すごくわくわくさせてもらえた。

もっと勉強が必要だと気がついた。



つくづく人間の力を感じる。

人は想像のつかないような力を持っている。

自分の意思や行動次第で、簡単に進化できる。


限界は自分で作ってはいけない。

目標も、そのさらに上をいく次の目標を立てないといけない。


考えることは難しい。だけど、人間にはその力が与えられた。

これを無にしてしまうことは、何よりももったいない。



偉人は言った。

「考えない人生は生きるに値しない」


この言葉に、すべてが収斂されている。



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旅行の詳細な記録も次からアップしていきます。

心が大きく揺さぶられ、気持ちが高ぶる出来事、出会いが数え切れないほどありました。


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フェリーの旅

初めてフェリーに乗った。

意外に乗り心地はよかった。(少々揺られるので、苦手な人には最悪かもしれない。僕もどうかタイタニックにならないように願いながら、思う存分消化するべき本を読みぐっすりと寝た)


そして今は、大阪のインターネットカフェ?のような雑居ビルの中でタイプ音を響かせているというわけだ。

さきほど依然から読んでみたかったマンガを読み終わった。



・・・・・・・・・泣いてしまった。

とてもいい話だったし、個室でのんびりと一気に全巻読むと感情移入をするようだ。



アメリカに行く日も近くなってきた。

わくわくしてくる。いい感じだ。


出発!

今から大阪へ出発します(ビザ面接へ)。


それから東京、名古屋、京都、奈良、兵庫と旅をする予定です。

記事をエントリーできるかはわかりませんが、できる限り更新していきます!


では、

ライブドアがすごいことを始めやがった!

ライブドアがすごいことを始めやがった(始めてくれた)!


前々から堀江社長がやると言っていたことがついに実現段階に入る。

それは、「無線LAN事業参入」である。


現段階で、無線LAN市場はNTTやソフトバンクが展開しており、月額2000円程度。


それを、月額なんと525円で始めるということだ。


従来、無線LANの利用可能エリアは喫茶店や駅など“点”にとどまっており、面的にエリアをカバーする携帯電話と比べると普及が進んではいない。

しかし、この「D-cubic」は都内主要箇所を範疇に(山の手線圏内を80%確保)、全国主要都市までの拡大を狙う。


また、P2Pを応用した無料インターネット電話「Skype」を広げ、携帯電話をも駆逐するもくろみである。

ちなみにSkypeは、お互いIDを持っていれば無料通話ができる無料シェアソフトである。

つまり、この普及が実現すれば携帯通話料は実質無料になる。

無線LANの設置・加入者の普及いかんによって、現在の携帯電話同様の使用が可能になるのだ。



「D-cubicは『Yahoo!BB』のモバイル版」と言う堀江社長。

他の企業と提携関係の締結を進め、より内容を充実させれば確実に収益を見込める市場である。

是非がんばってもらいたい。



libedoor       ← これがパートナー企業の製品例




参考URL:
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0506/15/news090.html



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留学 Vol. 3

ビジネスの本を読み漁り、政治の本、小説、さまざまなものを読んだと思う。
時には、涙し、時には怒りを覚えた。

高校の授業はあいかわらずおもしろくなかった。
2年の中ごろまでにすでに教科書はすべて終わらせていたものだから、
いつも演算や過去の問題の復習だった。

刺激が必要だったのかもしれない。
僕はそれを本に求めていた。

アメリカへ行きたいという気持ちが、どんどんと大きくなっていた。
幼い頃は、サッカー選手になりたくて、ブラジルに行くつもりでいた。
そういう考え方で、どうも僕には海外が小さな頃からも目標だった気がする。


留学するという意思を担任に伝えた。
彼女は、おおよそ理解をしてくれたと思うが、賛成ではなかったようだ。
部活の顧問にもそのことを伝える。


「お前はただ受験から逃げたいだけだろ?アメリカの大学は誰でも入れるんだろ?こんなことで逃げるなんてお前は器の小さな人間だな」


こう言われた。しかし、全然気にならなかった。東大に行くことが最大の名誉なのだと永遠と語っていた。

部活も辞めて、バイトを始める。
留学にはとても金がかかると知っていた。
少しでも自分で出そう、と思う気持ちからだった。

引越しアルバイトで16時間働き、ホテルマンとして働き、時には人にはいえないようなところを掃除するバイトもした。
社会を知る上で、少しはよかったと思う。
ただバイトを一度も楽しいと思ったことはなかった。

もし、奨学金が取れなかったら、何年でも日本で働いてアメリカへ渡る決心でいた。
日本に留まることは選択肢としては、もう存在していなかった。

今では、もっと冷静な判断ができていたと思う。
しかし、当時は精一杯だった。
でも、これでよかったと思っている。

自由にいろいろなことをやってきたから、一つのことしか知らない人間にはならない自信がある。


そうして過ごしていると、高校最後の夏はあっと言う間に過ぎていった。



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