僕が僕であるために
少し前、僕はこの曲を何度も何度も聴いていた。
彼の曲は僕に勇気を与えてくれ、時に大きく感情を揺さぶる。
思えば、留学を決めた頃、社会に学校に大人に反抗するだけの少年だった気がする。
ブルーハーツの歌詞ではないけれど、社会に迎合し大人に褒められるような子供にはなりたくなかった。
誰がなんと言おうと、自分で金を貯めて留学する気でいた。
そんな時、ニーチェと彼、尾崎は「自分は自分であればよい」ことを僕に語りかけてくれた。
正直に言えば時には楽になりたいと思い、優等生のままでいればよかった
(すべての優等生が悪いというわけではなく、模範生として扱われる自分)と思う存在も少なからずいる。
社会や基本通念に縛られず、「自分は自分である」という精神姿勢を持つことはとても困難なことで辛いことだと思う。
この精神を保つために、自嘲とナルシズムを繰り返しながら、僕は成長してきた。
ぶつかる障壁と葛藤は大きなものだけど、それはかけがえのない財産にもなり得る。
もし、みなさんが新たな世界に飛び出そうとしている時、また流されそうな自分に憤りを感じる時、
自分を見失いそうであるなら、この曲を聞いてほしい。
僕が僕であるために / 尾崎豊
心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
(※著作権の侵害にあたる恐れがあるので、全文は掲載しませんでした)
また、以下のURLからフラッシュとして楽曲を少しだけ聴くことができます。
http://wandergalaxy.daa.jp/ozakibokugabokude.html
(これも問題あるんじゃないのか?と思いますが)
「自分は自分でありたい」
単に我を通すというエゴではなく、「自己を確立する」という意味で、
僕にとって大きな目標であり壁でもあります。
閉鎖的な社会、他人と違うことをすることを嫌う風潮。
その中で確固たる自分を築き生き抜くためには、
この曲の言うように「自分は自分である」ために勝ち続けなければならないのかもしれません。
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